太郎さんの死後、敏子さんは…
「太郎さんがいらっしゃらなくなったら殉死する」
と迷いなく公言していた敏子さんですが…
実際には太郎さんが亡くなられた後10年近くも、
敏子さんはキラキラと生き続けました。
殉死 しなかったんです。
もし、殉死されていたら、ここまで敏子さんに惹かれなかったかもしれません。
画家モディリアーニの後を追い、自殺したジャンヌのように
ピカソに散々翻弄され続けたあげく、後を追って自殺した愛人たちのように…
結局、そういうことか… と落胆したかもしれません。
でも敏子さんは、心配していたまわりが驚くほど、元気に精力的に生きました。
なぜだと思いますか?
愛が冷めた… とかでは、もちろんありません。
それは、
“太郎さんの残した数々の言葉や作品、
想いをしっかりと自分が世の中に残さなければいけない”
という決意があったからではないかな、と思うんです。
敏子さんは、太郎さんの言葉を、作品を、哲学を、想いを
たくさんの人に伝えるために、世の中に残すために 精力的に動きました。
実際に、太郎さんの死後10年あまりの間に、自宅を記念館として開放し、
制作途中だった作品を完成させ、絶版になっていた著書の数々を復刻させ、
いたるところで、太郎さんについて語り続けました。
だからこそ、私も本や作品、映像を通して岡本太郎さんに出会い
敏子さんに出会うことができました。
敏子さんを通して、岡本太郎という人を好きになりました。
生きている、今は、誰にだってやるべきことがある。
だから、生きているのなら、
今を精一杯生きなさい。精一杯輝きなさい。
「あなたにも、やるべきことが ある。」
と、敏子さんはメッセージを送ってくれているように思います。
敏子さんは、太郎さんとともに、いつも今を精一杯に生きた。
いつもキラキラと燃え輝いていた。
そして、太郎さんが亡くなった後も
太郎さんとの過去や過去の思い出と共に生きたのではなく
太郎さんとの「今」を精一杯に生きた のだと思います。
敏子さんの本を読むと
未来や過去にしばられず、今を輝きなさい。本気で生きなさい。
大丈夫。あなたの思う道をまっすぐに歩けばいいのよ。
そう言って、背中を押してもらっているような気がします。
最後に… 私が手帳にメモして持ち歩いている
著書の中の敏子さんの言葉を抜粋します。
「生き甲斐はいつだって、いま自分の足もとにあるのよ」
「いま自分がやらなければならないことは何か、
ほんとうは何をやりたいのかを、ごまかさずに見つめること」
「どっちの足でもいい、そのときの気持ちの動く方に、素直に従えばいいのよ。」
「さあ、行きましょう。道は、歩いたあとにできるものなのよ。」
-------------------------------------------------------------------------------------
太郎さん、敏子さんの燃えるような生き方に、刺激をビンビンもらいます。
是非、著書も読まれてくださいね。
-------------------------------------------------------------------------------------
【参考文献・引用】
「岡本太郎が、いる」 岡本敏子著 新潮社 / 「いま、生きる力」 岡本敏子著 青春文庫
「恋愛について、話しました。」岡本敏子×よしもとばなな イースト・プレス
「奇跡」 岡本敏子著 集英社 / 「強く生きる言葉」 岡本太郎著 イースト・プレス
「愛する言葉」 岡本太郎 岡本敏子著 イースト・プレス
「今日の芸術」 岡本太郎著 光文社知恵の森文庫 / 「自分の中に毒をもて」 岡本太郎著 青春文庫
-------------------------------------------------------------------------------------
次回は…
女性物理学者として世界の第一線だ活躍し、研究活動を続けながら
3人の娘を育て、自分自身の病とも闘い、最愛の夫との悲しい別れも乗り越えた…
米沢富美子さん をご紹介する予定です。
この方、すっごいです!パワフルな生き方に感動します。お楽しみに〜♪
「太郎さんと敏子さん」へ戻る