輝く女性の生き方図鑑 Vol.88
30代 三重ママサロネーゼclub代表、セラピスト、2児の母
三重県のママ団体の代表を務める山田舞さん。
ママが子連れで気軽に参加できるイベントの開催。
ママからママへ、1万部を手渡しで配布するフリーぺーパー
「ミエママメッセンジャー」の編集・発行。
ママの交流会の開催...など
三重県のママのために、日々走り回っている。
団体の立ち上げから5年。
企業や行政からも注目されるようになり、
代表を務める責任の重さは、増すばかり。
それを舞さんは、無報酬で、本気で取り組んでいる。
自身も2児の母。
本業であるセラピストの他、関わる地域活性化事業も多い。
本当に困っている人に会うと、
知ってしまった以上は、知らないふりができない...。
そんな舞さん。
少し時間を共にすれば、
彼女が自分の名声や野心のために
動いているわけではないことがわかる。
いったい何が彼女をここまでさせるのか...。
どうしてそこまでできるのか...。
長野県の自然の中で、ごく普通に
楽しい幼少期を過ごしていた舞さん。
小学校高学年の頃、年老いた父方の両親と同居するため
愛知へと転居。
まもなく、祖父母がそろって認知症を発症する。
家族のこともわからなくなり、
徘徊する祖父母。
夜中に救急車を呼ぶことも、幾度となく繰り返された。
当時は介護施設へ入れることへの後ろめたさも強く、
全くノウハウのない舞さんの母親が一人で
24時間体制で介護を抱え込むことになる。
今ならお母さんが1人で追い詰められ
相当なストレスを抱えていたであろうことも想像がつく。
それでも、子どもたちの前ではいつも笑顔。
辛いことも、冗談のように話し、笑い飛ばすお母さん。
当時幼かった舞さんには、母親の心のうちなど知る由もなく
何もすることができなかった。
舞さんが中学生になる頃には、
お母さんはすっかりやせ細り、舞さんの腕よりも細い足。
なのに、お腹だけがふくらんでいる。
そんな自分の姿をも、「赤ちゃんが生れるの。」
なぁ~んて冗談で笑い飛ばす母親の姿を見て、
舞さんは、ことの重大さに気づくことはなかった。
卵巣がんだった。
病院嫌いのお母さんが、無理やり病院へ連れていかれた頃には、
腫瘍は医師が驚くほどに大きくなっていた。
即入院。手術。
それでも手術後も、笑顔だったお母さん。
「家に帰ってきたら...。」
病室で治ってからのこと、楽しい未来のことを
いつも一緒に話していた。
治ったら戻ってくると、心の底から信じていた。
「今日が"やま"だ...。」と突然聞かされるその日まで。
初めて母親の苦しむ涙を見た
その数時間後、お母さんはこの世を去った。
初めて現実に気づき、どん底に落とされた。
その後半年程で、祖父母も他界し、姉は神戸の学校へ。
にぎやかだった6人家族から、父親と2人の生活へと一変した。
何が悪くてこうなったのか...。
どうして私を置いて逝ってしまったのか...。
父親、母親、祖父母、姉、周りの全ての人を恨む日々。
反抗し、周りにあたりちらし、家出をすることも。
当時は、まだまだ母親を必要とする中学生。
思春期の舞さんにとって、辛い日々が続く。
高校を卒業し、就職。
普通の生活を取り戻しつつも、母親の死を受け止められずにいた。
そんな舞さんに追い打ちをかけるように、
当時唯一の心の支えだった友人を事故で失う。
またも大切な人を奪われ、
なんで大切な人ばかり亡くなるのか...
私の周りには、良いことがないのか...
自分は何のために、誰のために生きているのだろう。
悶々とふさぎ込む日が続く。
そんなある日、
「旅行へ行こうかな...。」
ふと、そんな想いが浮かぶ。
色々な国を舞うように...
そんな願いを込めてつけられた舞さんの名前。
高校生の時に初めて行かせてもらったホームステイで、
様々な価値観を知り、どん底にいた舞さんは、少しだけ救われていた。
海外へ行けば、価値観が変わるかも...。
どこか遠い国に行けば、母親に会えるかも...。
そんな気もしていた。
それからは、派遣の仕事をして、お金を貯め、
ボランティアスタッフとして、ピースボートへ参加。
3ヶ月半をかけ、南半球を回った。
積極的に各国の現状を知り、関わろうとした。
そこで得たものは、計りしれない。
日本がいかに平和なのか。
自分がどれだけちっぽけだったのか。
生と死の狭間で、毎日毎日一生懸命生きている人がいて、
それでもみんな笑顔で。
自分が今までどれだけ幸せに暮らしてきたのか...
心から感謝できた。
同じ人生。このままでは、もったいない。
その後、ブライダルのお仕事に打ち込み、
結婚、出産。ご主人の実家のある三重へ転居することに。
友人もいない初めての土地で、
"ママの交流の場をつくりたい。"
ただただ、そんな気持ちでママ団体を立ち上げた。
深く考えていたわけでも、明確な目標があったわけでもない。
ひたすら目の前のことに懸命に取り組んできた。
その根底にあるのは、
育児に追われ、家事に追われ、
命を落とすママを絶対につくりたくない。
無我夢中の5年の活動の中で、舞さんは自分の中の
そんな想いに気づき、深めていく。
ママの交流会には、他府県から転居してきた孤独なママや
第一子の育児に悩み、不安を抱えるママが
たくさん参加してくれている。
ミエママメッセンジャーを手渡し配布することで
多くのママの本当の声に耳を傾けることができた。
5年をかけて、ようやく本当にやりたかったことが
今、形になりつつある。
30を過ぎ、最近になり、ようやく人に話せるようになった母の死。
自分の母親を奪い、大嫌いだった"介護"なのに
気がつけば、"ケアセラピスト"という
介護と非常に関係の深い知識や技術を学び、
今、人に伝えたいと思っている。
母親の死に直面し、どん底にいた舞さんの背中を
いつも押してくれたのは
「あんたなら絶対できる。」
母親がいつもかけてくれていた言葉。
「母親の死が、自分を大きくしてくれた。」
心の底からそう思えるようになった舞さん。
誰もが"介護"に直面せざるを得ないこれからの時代。
彼女だからできること、彼女だから伝えられることは、多いはず。
「昨日まで当たり前だった生活が、一変してしまう...
そんな私のような思いを誰にもしてほしくない。」
そんな舞さんの想いを
「あんたなら絶対できる。」
亡くなった今も生き続けるこの言葉が、
きっとこれからも支えてくれるのだろう。
舞さん、今まで語ることのほとんどなかった
大切なお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。
セラピストとしての舞さんのHP&ブログ
//imhome8795.jimdo.com/
//ameblo.jp/im-home8795/
舞さんが代表を務める三重ママサロネーゼclubのHP&ブログ
//miemamasalo.com/
//ameblo.jp/miesalonezeclub/